最近若者を中心にタイパという言葉が流行っているようだ。
タイパとはタイムパフォーマンスの略語で、コストパフォーマンスの時間版のことだ。
2022年9月13日の日経新聞にも以下のような記事が掲載されていた。
都内で働く久保帆奈美さん(26)は配信ドラマを見る時は1.25倍速が標準だ。「ドラマの間(ま)とか情景描写が嫌。とにかく先を知りたいし、無駄な時間を過ごしたくない」。倍速視聴されるのはまだ良い方で、前評判が低ければ見向きもされない。
青山学院大学の久保田進彦教授は「デジタル化でコンテンツ入手のコストや手間が急減し、その瞬間の興味でスイッチしている」と話す。特に若い世代は不安定な低成長期で育ち、少しでも時間という資源を有効に使いたい意識が強い。
どうやらコンテンツを情報と捉えて評判の良いコンテンツを正に大量消費するために、ドラマなどの映像作品を1.25倍速で視聴するというのだ。
私は古い世代なのか映像作品の1.25倍速視聴というのが楽しいとはどうしても思えない。
映像作品の再生速度というものには作成者の意図があるわけで、再生速度を変更して観た瞬間から当該コンテンツを本当の意味では楽しめなくなると考えている。
つまり倍速視聴するということはコンテンツを楽しみたいということではなくてコンテンツを情報として仕入れたいということなのだろう。
映像作品を観るという目的が違うのだ。
そもそも倍速視聴をする人たちは映像作品に対して、作品という意識すらないのだと思う。従って、多くの映像作品を愛する人たちが倍速視聴では作品を本当の意味では楽しめないと言ったところで、倍速視聴をしている人たちにその意図が伝わるわけがない。
常に意見は平行線だ。観る目的のベクトルがはじめから違うため、交わることがない。
このような倍速視聴をしている人たちは一体何を求めているのだろうか。
友人と流行りのコンテンツの概要をなぞるだけで満足感を得ているのだろうか。
それとも事情通でいないと人間関係が保てない強迫観念にでもかられているのだろうか。
私には理解できない世界が映像作品の倍速視聴にはあるが、一応私も映像作品の1.25倍速視聴をしたことがある。感想はストーリーを捉えるだけで良いなら、倍速視聴で十分ということだ。ただそれだけだ。それなりに1.25倍速視聴でも良い作品であれば感動も得られはするがその感動は何か薄い。
私は好きな映像作品を何度も観ることがあり、その度に新しい発見があったりするのだ。倍速視聴をする人は同じ作品を何度も観るというのはタイパが悪いというのだろう。
大学のビデオ講義を倍速視聴するということであれば、タイパ重視でも一向に構わないと思う。それは目的が映像作品として楽しむではなく、講義という情報を頭に叩き込むことが目的になるため、それなら速くできた方が良い。
映像作品であればその再生速度を大事にしてほしいと思う。
あんまり世代論を振りかざしたくはないが、情報収集に固執したタイパ重視というのはZ世代の若者の感情の起伏の変化が乏しい原因になっているのではないかと考えてしまう。
自分の価値観では無駄な時間を楽しむというのが一つの贅沢だと思うのだが、そんな感覚は倍速視聴の人たちにはないだろうか。
私の妻もアニメを倍速視聴するのだが、私と一緒に観ているときは通常速度で視聴するので不服そうだ。好きなアニメを観ているときくらいタイパを忘れることはできないのだろうか。それって本当に好きと言えるのだろうか。
時間は全ての人間に平等に与えられている資源でとても大事なものではある。
その使い方を他人にとやかく言われる筋合いのものでもないだろうが、コンテンツの本質的楽しみ方は見失ってほしくないと切に願うばかりだ。