2020年8月5日の日経新聞に掲載された「ゆがむネット民意(2)抗議連動、匿名で連帯」という記事では匿名と実名の良し悪しについて触れられていました。
データ時代の民主主義に何が必要か。「匿名か実名か」という単純な対立軸は、かえって民意をゆがめかねない。匿名には自由さ、実名には確かさという利点がある。それぞれの利点の悪用を許さず、ネット上の個人の声を守る仕組みに生かすことが大切になる。
匿名では自由な意見が交換ができて、実名では確かな意見が交換ができるというような内容でしたが、必ずしもそうとは言えないケースもあります。
つまり、結局はネットに限らず情報の取捨選択は受け取る側次第ということを認識していることが今後ますます重要になってくるということなのだと思います。
ネットの情報の真偽を図る際に、声の大きさ(量)は必ずしもあてにできないということも「ゆがむネット民意(1)民主主義 誰が動かす台頭する専門家集団 「第3の声」は本物か」でわかりました。
転載数は109万件と首位だが、5割強が内輪ネタだ。人数は11万人と保守より少ない。「右」も「左」も過激な発言でネットをにぎわすが、ともに実体以上に姿が大きく見えていたのだ。
グループ毎の発言者のユニーク数は、変わらないのにTwitterでのリツィートの量が多くなることで正に民意がゆがみかねない現象が起きているようです。
とはいえ、そもそもネットの情報というのは昔からそうであったと感じております。
私は2000年ぐらいから自分のHPを作成して、記事を書いてきました。
その時から私は、匿名(ハンドルネーム)で活動しています。
多くのネット民がハンドルネームで活動している以上、ネットの世界の民意は匿名にこそやどるのだと考えています。
その中には、肩書きはないがすごく良い情報を発信している人もいて、そういう人は遅かれ早かれリアル世界でも注目を集めることになっています。
これはネットの匿名の世界であっても、最終的にはみんなが良いと考えるものが選ばれてきていることを表していると言っても良いでしょう。
とは言え、自分以外のみんなに情報の取捨選択を任せている状況では、何が良いのかをすぐに判断することは難しいでしょう。
従って、情報の取捨選択ができるくらいの知識や調べ方を身につけるのがこれまでもこれからもネットと上手くつきあっていくには重要なことなのです。
ネットに慣れ親しんでいるとネットの玉石混淆を見抜くのは自分次第ということは、何をいまさらということなのですが、ソーシャルメディアを駆使した大統領選が米国では繰り広げられており、ネットにより民意がゆがめられているという記事が出ております。
これは現在、改めてネットとのつきあい方を考える時期にきているのだと感じました。